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2006年9月24日

●目蒲線物語/おおくぼ良太


今はもう無い目蒲線ですが、その目蒲線が、実は東急東横線と田園都市線の間の子で、しかし、実の母は今無き赤羽線だったという、涙なくしては聞けない物語です。おおくぼ良太氏は振り出しはフォークソング歌手でしたが、その後お笑いや司会業をやっておられたようです。現在は残念ながら「あの人は今?」状態です。

トホホ度★★★★
お笑い度★★★☆
意味不明度★★★





コメント

いやぁ、東京の路線はよう判らんが、当時の西武と東急の熾烈な勢力争いのステージをほのぼのとしたタッチで描いているのでは?

「・・茶色の3両編成・・、2両の世田谷線・・・」
浅野佑悠輝の「小野田線」を思い浮かべてしまった。
小野田線は1両。宇部線も1両。両線とも廃線にならず今も走っております。

3~4週間前の「少年ジャンプ」の「こち亀」で東京のいわゆる「チンチン電車」を題材にした一話がありました。この漫画、新しいものと古いものを組み合わせノスタルジックな雰囲気をかもし出す話が多く私の愛読紙のひとつになっております。

実は私、8年前位に約1年間目蒲線通勤をしたことがあるんです、蒲田から不動前まで。
でもその当時は東急のシルバーメタリックで3両ということはありませんでしたし、もちろん冷房も暖房もありました。あの目蒲線にこんな悲しい生い立ちがあったなんて・・・知らなかったわ。もっと優しく乗ってあげれば良かった・・・。

ところでfujiyamaさん、小野田線は分かりませんが、宇部線は時間帯によって2両になることがあるんですよ。

ほぉ~!
通勤通学時間帯くらいは2両?

学生時代、何両目のどの入り口の付近に乗ると??さんがいる!!
若かれし頃の”小さなメロディ”でした。

調べてみると目蒲線が無くなったのは2000年だそうですから、シルバーメタリックの車両は最晩年なんでしょう。という事はこの歌はもっと古いという事になりますね。

私は電車で通学したことがないので、同線愛の経験はないんですが、きっと毎日の通学が楽しかったんでしょうね。羨ましい。

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