2008年11月24日

●A Chage Is Gonna Come / Sam Cooke

米大統領選はオバマ氏の勝利となりましたが、これを一番喜んでいるのは誰か?公立学校の先生だそうです。これで黒人生徒に「君たちも頑張れば大統領にだってなれる」と言えるようになったからです。では、一番残念に思っているのは?アメリカのコメディアンのようです。これまでブッシュネタで散々稼いで来た訳ですが、マケイン氏ならペイリンと絡めて色々とネタが作れるのに、オバマ氏ではこれまで余り大きな失点がないのと黒人だけにからかいにくい、という事情で頭を痛めているようです。

このオバマ氏の勝利演説にサムクックのチェンジ・イズ・ゴナ・カムが引用されている事をピーター・バラカン氏の指摘で知りました。ネットで原文にあたってみると
It's been a long time coming, but tonight, because of what we did on this day, in this election, at this defining moment, change has come to America.
原曲では"A change is gonna come"とこれから変化が起きる事を期待していますが、演説では"A Change has come"と現在完了形になっており、自身の当選によってChangeが始まったんだという事を強調しているのでしょう。ネットではこの演説の映像もありますが、米人でもオバマ支持でもないのに何となく感動してしまう、そんな演説の力を見てしまいます。

この曲はサム・クックの1964年の大ヒットです。しかし、この年の暮に彼はLAのモテルで銃殺されてしまいます。未だ33歳でした。サム・クックがモテルのマネジャーに襲い掛かったのが原因という事になっていますが、詳細は全く捜査されず、未だに謎のままです。

A Change Is Gonna Come

I was born by the river in a little tent/僕は川の側の小さなテントで生まれた
Oh and just like the river I been a runnin' ever since/それ以来川のように走り続けた
It's been a long, a long time coming but I know/それはとても長い時間がかかる、でも僕は知っている
A change gon' come oh yes it will/変化は来る、そう必ず来る

It's been too hard living but I'm afraid to die/酷い生活が続いたしかし僕は死を恐れる
Cuz I don't know what's up there beyond the sky/それは空の向こうの世界に何が起きるか分からないからだ
It's been a long, a long time coming but I know/それはとても長い時間がかかる、でも僕は知っている
A change gon' come oh yes it will/変化は来る、そう必ず来る

I go to the movie, and I go downtown/映画を見に行く、そして街にでる
Somebody keep tellin me "don't hang around"/誰かがいつも僕に言う「ウロウロするな」と
It's been a long, a long time coming, but I know/それはとても長い時間がかかる、でも僕は知っている
A change gon' come oh yes it will/変化は来る、そう必ず来る

Then I go to my brother and I say "brother, help me please" /そして僕は兄貴のところへ「兄貴、どうか助けてくれ」と頼みに行く
But he winds up knocking me back down on my knees/でも兄貴は僕を締め上げ叩き、膝から落とされる
There been times that I thought I couldn't last for long/僕はこんな事はそんなに長く続かせないと何度も思った
Now I think I'm able to carry on/今こそ僕は出来ると思う
It's been a long, a long time coming but I know/それはとても長い時間がかかる、でも僕は知っている
A change gon' come, oh yes it will/変化は来る、そう必ず来る

5行目に「死を恐れる」というくだりがありますが、これは多分古いブルースに良く出てくる、毎日こんな辛い労働に苦しむ位なら死んで天国へ行った方が良い、という諦めのフレーズに対し、Changeが起きるまで頑張るんだという意志を表しているように思われます。彼は父親の影響で長く教会の聖歌隊で歌い、その後ゴスペルを歌っていた事もあり、黒人の地位向上運動にかなり感心をもっていたようです。1964年頃は人種差別はありませんが、映画「ヘア・スプレー」に見られるような人種隔離 (Segregation)、はまだあった時代ですから、このような歌に反感を持つ白人も多かった筈です。彼の歌が40数年後の大統領スピーチに引用される事をサムが知ったらどんな感慨をもつでしょうか?

2008年11月16日

●黄金餅


--黄金餅のあらすじ--
下谷の山崎町の裏長屋に、薬を買うのも嫌だというケチの”西念”という乞食坊主が住んで居た。隣に住む金山寺味噌を売る”金兵衛”が、身体を壊して寝ている西念を見舞い、餡ころ餅が食べたいというので買って来てやったが、家に帰れと言う。隣の家に帰って壁の穴からから覗いて見ると、西念が餅からあんこだけを出し、そこに今まで喰うものも喰わずに貯めたニ分金や一分金を詰め込み、一つずつ全部、丸飲みしてしまう。しかし西念は急に苦しみだしそのまま死んでしまった。金兵衛は飲込んだ金を取り出そうとあれこれ考え焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまおうと決意する。西念を菜漬けの樽に納め、

下谷の山崎町を出て、麻布絶口(現座の地名では絶江)釜無村の木蓮寺へ担ぎ込んだ。

貧乏木蓮寺で葬儀を値切り、焼き場の切手と、中途半端なお経を上げさせた。形ばかりの葬式が終わると仲間には新橋に夜通しやっている所があるから、そこで飲って自分で金を払って帰ってくれと追い返した。桐ヶ谷の焼き場へは一人で担いで行き、腹は生焼けにして朝一番で焼いてくれと頼み、自分は新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷に戻った。遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまう。その金で、目黒に餅屋を開いて大層繁盛したという。これが江戸名物「黄金餅」の由来でございます。
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実際の口演では金兵衛とその相棒が下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺まで菜漬けの樽を担いで行くその道筋を全部喋るところがこの落語の売り物です。右上のイラストはその道筋です。(「笑う超人 立川談志 x 大田光」より引用)。

下谷山崎町から木蓮寺迄12~3km。木蓮寺から桐ヶ谷の焼き場(現在、桐ヶ谷斎場として営業中)まで約4km。西念の死体を抱えてこれだけ移動するんですから、確かに疲れる筈です。この噺は実話ではありませんが、こういう噺が出来るのは当時の人はこれくらいの距離は普通に歩いていたんでしょう。

道筋を語る部分で例えば"古今亭志ん生"(昭和34年3月2日)はこんな風にやっています。焼き場で金を取り出すという陰惨な話が志ん生の人柄で笑える落語になっています。これが昔からのもっともオーソドックスな形ですがこの道筋を"立川談志"(昭和47年3月19日)が昭和の風景に置き換えてやっています。こういう事をやってくれるのは談志だけでしょう。物凄い芸だと思います。では、平成の風景に置き換えたらどうか?これは浅草キッドの水道橋博士がやってくれたそうですが、残念ながら音がありません。是非聞いてみたいものです。

尚、この道順を2001年に実際に辿った人があり、そのホームページ"落語の舞台を歩く"にきちんとまとめられています。

2008年11月 3日

●レス・ポール

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引越しのどさくさで10月はサボってしまいましたが、11月になって漸く再開です。未だ引越荷物が完全に入ってない事もあり当分落ち着きませんが、ボチボチ更新して行きます。

先月下旬BSでリクエストでカーペンターズの曲を紹介する番組が有り、カレンとリチャード兄弟の懐かしい歌声を楽めました。この番組にはリチャードがゲストとして出演しており、何曲か歌ってくれました。その後インタビューとなり(未だ録画が出来ないので正確に覚えていません。録画した方は教えてください)リチャードの最初に聞いた曲は何か?との質問に、4、5歳の頃聞いたレス・ポールの「タイガーラグ」に非常に強いインパクトを受けたと答えました。確かに年代的に言っても彼が子供の頃は未だレス・ポールとメリーフォードのオシドリコンビはかなりの人気があった筈です。

その後レスポールの伝記映画「レスポールの伝説」が渋谷で上映されていると知り、昨日見てきました。レスポールは現在96歳ですが、今でもニューヨークのクラブで演奏しています。彼の演奏する姿を見られただけでも感動です。
レスポールはミュージシャン(ギター)ですが発明好きで、エレキギターの発明、テープレコーダを使った世界初の多重録音、それからレスポールモデルと呼ばれるギブソンのエレキギターの開発は世界的業績と言っても過言ではないでしょう。ギタリストとしては戦前から活躍しており、戦後メリーフォードとコンビを組み(後結婚)数々のヒットを飛ばしています。この夫婦は車に録音機材を積み込み旅をしながら、色々な所で録音したそうです。エコーを効かせる為に風呂で歌ったり、キッチンで録音したり。その頃の思い出を楽しそうに語っていました。しかし、エルビスプレスリーが登場してロック全盛の時代になり次第に彼等の人気は凋落していきました。ロックの時代になって多くのロックミュージシャンがレスポールモデルのギターを弾いているのは皮肉に思えます。

映画の中ではこれまでの歴史やエピソードが語られています。本人のインタビューで驚いたのは昔マイルスディビスがレスポールに「どうしたら売れるようになるのか?」と聞きに来たそうです。帝王マイルスでもこんな時代があったんですねぇ。90代の今でも演奏しているだけで凄いのですが、曲の合間のトークがまた軽妙で面白いんです。何かのパーティの映像でヴァン・ヘイレンが感謝の気持ちを込めてレスポールに「僕の人生のあらゆる局面であなたの影響を受けました。」と言ったところ、レスポールはすかさず「君の性生活にもかい?」と返し大ウケでした。ポールマッカートニーが「僕らのバンド(勿論ビートルズ)が最初に演奏したのはハウハイザムーン"How High The Moon"でした。」と言った時にはさすがのレスポールも驚きかつ満面の笑みを称え、何も言えないという態でした。この映画にもリチャードが出演しています。彼はハウハイザムーンのソロを全て記憶しており、その他の曲も見ているこちらが気恥ずかしくなるほど熱く語っていました。

彼等のヒット曲は多すぎて全て挙げる事はできませんが、自分として懐かしいのは「世界は日の出を待っている"The World Is Waiting For The Sunrize"」。また「バイアコンディオス"Vaya Con Dios"」は江利チエミ等色んな歌手が歌って日本でもヒット曲となっています。

多くのロックミュージシャンが語るようにレスポールはエレキギターと多重録音という今のポピュラー音楽の基礎を築いたミュージシャンで彼のヒット曲は当時、どうやってこんな音を出すんだろう?と皆が不思議がったくらい非常に革新的な曲でした。レスポールの伝説はちょっとマニアックなところもありますが、レスポールの伝記のみならずアメリカのポピュラー音楽の歴史を綴る貴重な資料となっています。尚、12月にはDVDが出るようです。