2008年11月03日

●レス・ポール

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引越しのどさくさで10月はサボってしまいましたが、11月になって漸く再開です。未だ引越荷物が完全に入ってない事もあり当分落ち着きませんが、ボチボチ更新して行きます。

先月下旬BSでリクエストでカーペンターズの曲を紹介する番組が有り、カレンとリチャード兄弟の懐かしい歌声を楽めました。この番組にはリチャードがゲストとして出演しており、何曲か歌ってくれました。その後インタビューとなり(未だ録画が出来ないので正確に覚えていません。録画した方は教えてください)リチャードの最初に聞いた曲は何か?との質問に、4、5歳の頃聞いたレス・ポールの「タイガーラグ」に非常に強いインパクトを受けたと答えました。確かに年代的に言っても彼が子供の頃は未だレス・ポールとメリーフォードのオシドリコンビはかなりの人気があった筈です。

その後レスポールの伝記映画「レスポールの伝説」が渋谷で上映されていると知り、昨日見てきました。レスポールは現在96歳ですが、今でもニューヨークのクラブで演奏しています。彼の演奏する姿を見られただけでも感動です。
レスポールはミュージシャン(ギター)ですが発明好きで、エレキギターの発明、テープレコーダを使った世界初の多重録音、それからレスポールモデルと呼ばれるギブソンのエレキギターの開発は世界的業績と言っても過言ではないでしょう。ギタリストとしては戦前から活躍しており、戦後メリーフォードとコンビを組み(後結婚)数々のヒットを飛ばしています。この夫婦は車に録音機材を積み込み旅をしながら、色々な所で録音したそうです。エコーを効かせる為に風呂で歌ったり、キッチンで録音したり。その頃の思い出を楽しそうに語っていました。しかし、エルビスプレスリーが登場してロック全盛の時代になり次第に彼等の人気は凋落していきました。ロックの時代になって多くのロックミュージシャンがレスポールモデルのギターを弾いているのは皮肉に思えます。

映画の中ではこれまでの歴史やエピソードが語られています。本人のインタビューで驚いたのは昔マイルスディビスがレスポールに「どうしたら売れるようになるのか?」と聞きに来たそうです。帝王マイルスでもこんな時代があったんですねぇ。90代の今でも演奏しているだけで凄いのですが、曲の合間のトークがまた軽妙で面白いんです。何かのパーティの映像でヴァン・ヘイレンが感謝の気持ちを込めてレスポールに「僕の人生のあらゆる局面であなたの影響を受けました。」と言ったところ、レスポールはすかさず「君の性生活にもかい?」と返し大ウケでした。ポールマッカートニーが「僕らのバンド(勿論ビートルズ)が最初に演奏したのはハウハイザムーン"How High The Moon"でした。」と言った時にはさすがのレスポールも驚きかつ満面の笑みを称え、何も言えないという態でした。この映画にもリチャードが出演しています。彼はハウハイザムーンのソロを全て記憶しており、その他の曲も見ているこちらが気恥ずかしくなるほど熱く語っていました。

彼等のヒット曲は多すぎて全て挙げる事はできませんが、自分として懐かしいのは「世界は日の出を待っている"The World Is Waiting For The Sunrize"」。また「バイアコンディオス"Vaya Con Dios"」は江利チエミ等色んな歌手が歌って日本でもヒット曲となっています。

多くのロックミュージシャンが語るようにレスポールはエレキギターと多重録音という今のポピュラー音楽の基礎を築いたミュージシャンで彼のヒット曲は当時、どうやってこんな音を出すんだろう?と皆が不思議がったくらい非常に革新的な曲でした。レスポールの伝説はちょっとマニアックなところもありますが、レスポールの伝記のみならずアメリカのポピュラー音楽の歴史を綴る貴重な資料となっています。尚、12月にはDVDが出るようです。

2008年06月17日

●ビッグ・バンドの終焉

6月12日の日経朝刊最終面に北野タダオ氏の「ジャズ楽団主席”卒業”」という寄稿があった。北野氏はアロージャズオーケストラというビッグバンドのバンマスであったが、高齢の為引退する由。これまでのバンド活動の想いでが綿綿と綴られている。

ところが文中聞き捨てならない一節があった。「アローはプロとして定期演奏会を続ける、おそらく国内唯一のビッグバンドだ。」ビッグバンドといえば歌謡曲番組で見た事があると思いますが舞台右側に3段の雛壇があり、上がトランペット4本、中段にトロンボーン4本、一番下が左からアルトサックス2本、テナーサックス2本、バリトンサックス1本。舞台一番左はピアノ、その右にギター、ベース、ドラムスという構成のバンドです。

デューク・エリントン楽団、カウント・ベーシー楽団等々素晴らしいバンドが幾つもありますが、日本で有名な処を思いつくまま挙げてみると、宮間利之とニューハード、原信夫とシャープス&フラッツ、高橋達也と東京ユニオン、森寿男とブルーコーツ、奥田宗弘とブルースカイ・オーケストラ、ダン池田(後に三原綱木)とニューブリード、スマイリー小原とスカイライナーズ、見砂直照と東京キューバンボーイズ等々。これらの殆どが活動を休止していると言う。

びっくりこいて調べてみるとニューハードとシャープス&フラッツは2006年迄、演奏会の記録はあるが、それ以降は無し。唯一森寿男とブルーコーツが本年8月31日の第40回サマージャズ(日比谷野音では無く日比谷公会堂)に出演予定があった。その他は既に解散。

最近は歌手が自分の小バンドで歌ったり、カラオケ或いはPCで済ませてしまうので、昔のような歌謡曲の仕事が無くなりバンドを維持する事が非常に困難になったようだ。勿論ビッグバンドは歌謡曲の伴奏だけでなく、ダンス、ジャズ或いはレコード録音の際のスタジオワーク等々をこなし、かつてはミュージックエンターテインメントの中核にあった。またインキュベータの役割も果たしており、これまで優秀な歌手やミュージシャンを多数輩出している。しかし、もし無くなれば一体これからビッグバンドのミュージシャン達はどうなる?そして何よりあの鳥肌の立つ様な煌びやかなサウンドが聞けなくなるかと思うと誠に残念としか言いようが無い。

余りにも通俗な言い方ではあるが、また一つ昭和が消えたというところであろうか。

2007年12月16日

●クリスマスケーキ

久しぶりの世間噺です。
師走も中場となり、世の中クリスマスムード一色です。私の職場では昼間から、勿論小音量ですがクリスマスソングが流れてます。ところで日本では今頃クリスマスケーキの売込み、予約の最盛期でしょうか?ところが迂闊にも最近気がついたんですが、こっちにはクリスマスケーキが無いんです。日系のスーパーに行けば当たり前のように日本と同じクリスマスケーキの予約販売してたんで、当然あるもんだと錯覚してました。そこで、早速WIKIPEDIAを引いて見ました。冒頭に
Christmas cake is a type of fruitcake served at Christmas time in the UK, Ireland and many Commonwealth countries.
とあります。Commonwealth(英連邦)とは主として英国が旧宗主国の国々の集まりで53ヶ国が加盟しています。米国はメンバーではありません。要するにクリスマスケーキは英連邦のフルーツケーキであると定義されている訳です。その下に各国のクリスマスケーキという欄があり、日本は
In Japan, Christmas cake, traditionally eaten on Christmas Eve, is simply a sponge cake, frosted with whipped cream, decorated with strawberries, and usually topped with Christmas chocolates or other seasonal fruit.
要するにスポンジケーキに白いクリームを塗り、苺や季節の果物で飾ってあり、上にメリークリスマスとか書いたチョコレートが載っているものがクリスマスケーキであると思ってた訳で、これは日本特有の形らしいんです。

そこで、と言う程意気込む事も無いんですが、冬休み自由研究としてその歴史を探ってみました。例によってネットで検索してみると、こんなサイトがありました。
http://www.christmasarchives.com/christmascake.html
このサイトによると、その起源はPorridge(お粥)だそうです。14、5世紀の英国ではクリスマスイブの昼間は絶食し夜Plum(乾し葡萄)を入れたお粥を食べる習慣があり、後にそのお粥に更にスパイスや乾燥果物、蜂蜜等を入れるようになりました。そして、ついにはそれを蒸してプディングにしてしまいました。
一方お粥を作るオートミールの代わりの小麦粉に卵、バターを加え、蒸してplumcakeを作るやり方もあったようで16世紀にはプディングとplumcakeが共存していました。
処で、クリスマスケーキというとクリスマスイブの日に食べるもの思い込んでましたが、当時はクリスマスの最後の日(最後の日があるとは知りませんでした)であるTwelfth night(1月5日)に盛大にご馳走と共に食べていたそうです。しかしながら宗教改革の後このようなお祭り騒ぎは清教徒により禁止され1870年ビクトリア女王がTwelfth nightを禁止しました。しかしケーキを食べる事が禁止されてしまっては菓子職人は商売上がったりです。そこで1月5日が駄目なら12月に食えば良いという解釈でこれまで同様にフルーツケーキを作り続けました。このやり方が英国で一般的に広まり、自分たちだけでなく植民地の親戚、知人にボイルしたフルーツケーキを送ったことから、この習慣が英連邦に広まったようです。米国は英連邦ではありませんが、同じく英国からケーキが送られて来たんだと思われます。じゃあ、なぜ日本のクリスマスケーキはフルーツケーキではなくスポンジケーキになったのかは、分かりません。

噺だけでは寂しいので、クリスマスソングを一曲。渡辺貞夫が92年のクリスマスに文化村オーチャードホール開いたコンサートを実況録音した"A Night With Strings"の中の"The Christmas Song"です。このクリスマス・コンサートは3年続き実況録音版はVol. 2, Vol. 3まであります。ところがVol. 2, Vol. 3は日本で買えるのですが、初回のこのアルバムはなぜか日本のカタログにありません。こちらに来てアマゾンで見つけ、やっと入手できました。この日の演奏がいかに素晴らしいものであったかは言うまでもありません。クリスマスの夜に彼女とこんなコンサートに行けた人は本当に羨ましい限りです。

という訳で、今年はこれでお仕舞いです。また来年も宜しくおねがいします。

2007年05月07日

●3701 W. 119th Street, Howthrone, CA

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P1000789-edits.jpg3701 West 119th Street, Howthrone, CA はビーチボーイズの生家の住所で、アルバムタイトルにもなっています。住所からして会社の近くだなとは思ってました。ところがつい最近ここに彼らの碑が建っている事を知りました。2005年5月にファンの寄付によって建てられたようです。そこで会社帰りに立寄ってみました。場所はLAX空港から東へ延びる105号線とCrenshaw通りが交差する処にHowthrone空港がありますが、この空港と105号線の間でした。この空港から友人と飛行機に乗ってグランド・キャニオン日帰りツアーに出かけたことがありますが、その時はそばにビーチボーイズの碑があるとは全く知りませんでした。

碑の建っている場所は将に彼らの生家の前庭で、105号線の建設の為に取り壊されたようです。彼らの家が119通りのあちら側でなく、こちら側であれば残っていた筈で、残念です。

この碑の正面には5人がサーフボードを持っている白色のレリーフが嵌め込んであります。これは彼らの3作目の大ヒットアルバム”サーファー・ガール”のジャケットをレリーフにしたものです。また周囲の煉瓦にはこの碑の建設費を寄付した人々の名前とコメント、賛辞等が掘り込んであります。その下のプレートには、この家がビーチ・ボーイズという歴史の出発点である事が簡潔に記されています。

P1000783-edits.jpgIT WAS HERE IN THE HOME OF PARENTS MURRY AND AUDREE THAT BRIAN, DENNIS, AND CARL WILSON GREW TO MANHOOD AND DEVELOPED THEIR MUSICAL SKILLS, DURING LABOR DAY WEEKEND 1961, THEY, WITH COUSIN MIKE LOVE AND PRIEND AL JARDINE, GATHERED HERE TO RECORD A TAPE OF THEIR BREAKTHOUGH SONG "SURFIN'." THIS MARKED THE BIRTH OF THE ROCK GROUP KNOWN WORLDWIDE AS THE BEACH BOYS, AND THE BEGINNING OF AN HISTORIC MUSICAL LEGACY THAT WOULD CHANGE THE RECORDING INDUSTRY. THE MUSIC OF THE WILSONS, LOVE, JARDINE AND FRIEND DAVID MARKS BROADCAST TO THE WORLD AN IMAGE OF CALIFORNIA AS A PLACE OF SUN, SURF, AND ROMANCE. BRIAN WILSON WOULD BECOME A LEGENDARY PRODUCER, ARRANGER, AND SONGWRITER.

CALIFORNINGA REGISTERED HISTORICAL LANDMARK NO. 1041
PLAQUE PLACED BY THE STATE DEPARTMENT OF PARKS AND RECREATION IN COOPERATION WITH THE CITY OF HOWTHORNE, MAY 2005.

【抄訳】ブライアン、デニスとキャロルは両親(マレーとオウドリー)の家で成長し、音楽の技術を磨いた。1961年の感謝祭の休日の間、3兄弟と従兄弟のマイク・ラブと友人のアル・ジャーディンがこの家に集まり、彼らの驚くべき"サーフィン”という曲(のデモテープ)を録音した。これがBeach Boysとして世界中に知られたロック・グループの誕生であった。そしてレコード業界を変革する歴史的な音楽遺産の始まりであった。彼らの音楽は世界中に放送され、カリフォルニアが太陽とサーフィンとロマンスに満ちた所であるというイメージを世界中に植えつけた。ブライアン・ウィルソンは歴史的なプロデューサー、アレンジャーそして作曲家となるでしょう。

碑文は実に簡潔に彼らの業績を称えています。特にカリフォルニアの明るい太陽、サーフィン、そしてロマンスというイメージを作ったのが彼らであるという事実が明記されています。これだけでもカリフォルニア州の住民は彼らに足を向けて寝られません。その後の活躍についてはまた機会を改めたいと思いますが、彼らのサウンドに一貫したまさしくカリフォルニアのような明るさは、フォー・フレッシュメンの影響を大きく受けています。フォー・フレッシュメンの8ビート版と言っても良いでしょう。また、彼らの音楽は徹底的に白人で、ブルース臭が無いのが特徴です。これは同時期のローリング・ストーンズやビートルズのイギリス勢と比べてみれば納得頂けると思います。この明るさ、ブルース臭の全く無い(えぐみが無い)ところが60年代の強かったアメリカに大受けしたんだと思います。

2005年11月28日

●御挨拶

6月に、クニを出てからはや幾星霜。一月位で再開できるかと思ってましたこのブログですが、地元ISPの嫌がらせに加え、PCが寿命尽きて御昇天。色々ありましたが、過去の投稿も何とか復旧でき、やっと新投稿の運びとなりました。という訳でまずは御挨拶。挨拶というとどうしてもこの歌を想い出してしまいます。歌っているのは高田渡ですが、今年の4月14日にこのブログで彼の「コーヒーブルース」を取り上げた直後の4月16日未明、突然お亡くなりになりました。もう二度とこのような歌手は出てこないような気がします。謹んでご挨拶をお聞きになって下さい。

2005年01月29日

●笑わぬでもなし

このブログは「日本世間噺大系」というタイトルをつけて、色々と面白い世間噺を書き連ねる積もりでしたが、珍盤・奇盤でお笑い方向に行ってしまったという感があり、タイトルとちょっと乖離があるかなと気になっておりました。K氏からも指摘されましたので、思い切ってタイトルを変更しました。
「笑わぬでもなし」というのはこれもパクリで山本夏彦の著書の題名です。では、今後とも宜しく。


2004年12月12日

●麻布十番温泉ライブ/王様

IMG_0037s.jpgIMG_0057_edits.jpg12月11日の土曜日、友人のK氏と麻布十番温泉ライブに行ってきました。4時に整理券配布という事で、時間丁度に温泉入口に行ったのに、おばさん2人が居るだけで、誰も整理券配る様子も無し。しばらくすると「すいません」のかけ声と共に係のおねーさんが飛び込んできて、ボールペンで番号が書いただけのポストイットを配ってくれました。我々は3番と4番。しかし、開場が6時で、それまで温泉に浸かれない。しょうがないんで1階の銭湯「越の湯」に入った。番台も懐かしい、昔ながらの銭湯で流石に料金は400円でした。銭湯と言っても十番温泉と同じ泉質のコーヒー色の湯です。が、これが熱い、熱い。落語風にいうと湯が食いつくっていう奴です。すっかり温もり、銭湯を出てから対面のカフェで待ちきれずビール。
6時に十番温泉にもどり、整理券の順に入場。せいぜい100人収容程度の大広間なので、特に前列に座る必要もないのですが、3、4番の整理券を持っている以上一番前に座る。1,2番のおばさま達はお風呂へ。我々はビール、熱燗と飲み続ける。豚汁やうどんを食っている人もいる。
7時になっていよいよ王様登場。いきなり、御立派の大合唱でいきなり盛り上がりました。最後にはアンコールとして特別ゲスト、ジョンレノン(王様)まで登場し、十分楽しめたライブでした。
王様によれば彼の出世作となった「深紫伝説」「浜っ子の歌」や「お色気牧場」等々の代表作がかなり廃盤になっているようです。確かに「深紫伝説」から早10年、致し方無いとはいへ、ちょっと寂しい感じがしました。
しかし、これだけ平均年齢の高いライブも珍しいと思うよ。