2008年11月16日

●黄金餅


--黄金餅のあらすじ--
下谷の山崎町の裏長屋に、薬を買うのも嫌だというケチの”西念”という乞食坊主が住んで居た。隣に住む金山寺味噌を売る”金兵衛”が、身体を壊して寝ている西念を見舞い、餡ころ餅が食べたいというので買って来てやったが、家に帰れと言う。隣の家に帰って壁の穴からから覗いて見ると、西念が餅からあんこだけを出し、そこに今まで喰うものも喰わずに貯めたニ分金や一分金を詰め込み、一つずつ全部、丸飲みしてしまう。しかし西念は急に苦しみだしそのまま死んでしまった。金兵衛は飲込んだ金を取り出そうとあれこれ考え焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまおうと決意する。西念を菜漬けの樽に納め、

下谷の山崎町を出て、麻布絶口(現座の地名では絶江)釜無村の木蓮寺へ担ぎ込んだ。

貧乏木蓮寺で葬儀を値切り、焼き場の切手と、中途半端なお経を上げさせた。形ばかりの葬式が終わると仲間には新橋に夜通しやっている所があるから、そこで飲って自分で金を払って帰ってくれと追い返した。桐ヶ谷の焼き場へは一人で担いで行き、腹は生焼けにして朝一番で焼いてくれと頼み、自分は新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷に戻った。遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまう。その金で、目黒に餅屋を開いて大層繁盛したという。これが江戸名物「黄金餅」の由来でございます。
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実際の口演では金兵衛とその相棒が下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺まで菜漬けの樽を担いで行くその道筋を全部喋るところがこの落語の売り物です。右上のイラストはその道筋です。(「笑う超人 立川談志 x 大田光」より引用)。

下谷山崎町から木蓮寺迄12~3km。木蓮寺から桐ヶ谷の焼き場(現在、桐ヶ谷斎場として営業中)まで約4km。西念の死体を抱えてこれだけ移動するんですから、確かに疲れる筈です。この噺は実話ではありませんが、こういう噺が出来るのは当時の人はこれくらいの距離は普通に歩いていたんでしょう。

道筋を語る部分で例えば"古今亭志ん生"(昭和34年3月2日)はこんな風にやっています。焼き場で金を取り出すという陰惨な話が志ん生の人柄で笑える落語になっています。これが昔からのもっともオーソドックスな形ですがこの道筋を"立川談志"(昭和47年3月19日)が昭和の風景に置き換えてやっています。こういう事をやってくれるのは談志だけでしょう。物凄い芸だと思います。では、平成の風景に置き換えたらどうか?これは浅草キッドの水道橋博士がやってくれたそうですが、残念ながら音がありません。是非聞いてみたいものです。

尚、この道順を2001年に実際に辿った人があり、そのホームページ"落語の舞台を歩く"にきちんとまとめられています。

2008年08月26日

●松山鏡/桂文楽

松山鏡は松山村という鏡の無い村で起きた椿事がネタになっていますが、桂文楽はその噺に入る前に鏡の無い国の小噺を枕として入れています。

ある鏡の無い国の連中が団体を作りまして江戸見物。浅草の観音様へお参りをしよう。蔵前通りにかかって参りまして大きな鏡屋さんがあったそうで、ちょっくら待てよ、おかしげな商売があるぞ、みろよ、かかみせ、かかみみせ、かかみせや、かか見せるのかな。
おせいどんよ、なんだねあれあれ、あれま、これはたまげたぞ、われ見せとるぞ、えれい商売があるもんだ、てんで大変に感心を致しまして村に帰りまして、これがえらい評判でございます。

権佐衛門さん、なんだな、来年江戸見物に俺も一緒につれていってくんろ、うん、あのかか見せるところ頼むぞ。うん。来年になりますとまたぞろぞろぞろぞろと江戸見物、蔵前通りにかかってまいりました。

丁度鏡屋さんが引越してしまって、後に琴や三味線のお師匠さんの家と変りまして、どこだい、そのかか見せるていうところは何のおらがなあ、この辺と、引っ越した後をみると、これはいがねぇ、これは駄目だ、こりゃ。来年でなきゃ見られんぞ。そうか、ここに書いてある「ことしゃみせん」としてある。来年でなきゃや見られんぞ、そうかな、おらのかかあ、あんべえ悪いだが来年までもつかな?心配ぶたねぇもんだ。そばに「しなんじょ」としてある。

鏡屋の看板「かかみみせ」を「かかみせや」と読んで、かかあを見せて売る所だと、妄想を逞しくした田舎者の勘違いが「ことしゃみせん」に繋がって、なかなか良く出来た小噺です。

2008年06月23日

●時そば

「時そば」と言えば「寿限無」と並んで数ある落語のネタの中で知らない人は居ないという程有名です。

「うまかったよ、幾らだい?」
「へい十六文で」
「銭が小さいから手をだしな、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、今何時だい」
「へい、九つで」
「とう、十一、十二、、、、、十六」
これを見ていた与太郎は時を聞いて一文誤魔化したのに気づき、俺もやってみようと翌晩そばを食いに出て来ます。美味くも無いそばを食った後、昨日の客の真似して
「銭が小さいから手をだしな、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、今何時だい」
「へい、四つで」
「いつ、むう、なな、やあ、、、、、、」
というのがどなたもご存知のオチです。

処で、件の蕎麦屋は昨夜の客には「九つ」と答えたのに与太郎にはなぜ「四つ」と言ったんでしょうか?勿論蕎麦屋は謹厳実直で、与太郎を誤魔化そうなんて気持ちはさらにありません。

江戸時代の暦は今と違って太陽太陰暦で、時刻の数え方も日の出から日の入り迄の時間を基準にした不定時法でした。このため夏と冬では一時(約2時間)の長さも違ってきます。ここでは簡単の為に日の出が朝6時、日の入りが18時と仮定して現代の時間に合わせてみると

0時暁九つ
2時暁八つ
4時暁七つ
6時明け六つ
8時朝五つ
10時朝四つ
12時昼九つ
14時昼八つ
16時昼七つ
18時暮れ六つ
20時夜五つ
22時夜四つ
24時暁九つ
当時は時刻の呼び方が複雑で真夜中と正午が九つ、そこから一つずつ減って行きます。前夜の客は九つ頃そばを食っていたので、蕎麦屋は九つと答えたわけです。処が翌日の与太郎はちょっと早めに食ってしまったので、時を聞いたら蕎麦屋が四つと答えたというオチです。江戸時代や明治の頃の落語ファンなら当然と思って笑ったのでしょうが、私にはその謎が良く分からなかったという訳です。

時刻は数字以外にも十二支で呼ぶ呼び方もあり「草木も眠る丑三つ時」と言えば丑ですから午前2時となり、その後の一刻を四つに分けた三つ目を指しています。ですから今風に言えば午前三時半になります。

ちょっと脱線しますが、回教国は今でも完全太陰暦を使っています。毎月大の月と小の月が交互に来ます。このため一年は30日x6+29日x6=354日。つまり一年が354日ですから、太陽暦よりも11日短くなります。このため33年たつと1歳、66年たつと2歳我々より余計に年を取ることになります。完全太陰暦の場合33年で一回りする訳ですから、或る年は8月が真冬になったり、2月が真夏になったりして具合が悪いんぢゃないか?などと余計な心配してしまいますが大丈夫。完全太陰暦を採用してる国は1年中夏なんです。

2008年05月16日

●りん廻し

落語にはよく川柳や狂歌が出てきますが、りん廻しは最初と最後に必ず「りん」を付けるという遊びです。落語としてはそのものずばりの「りん廻し」或いは「雑俳」というネタで「りん」が付いた狂歌が沢山出てきます。誰が作ったか分かりませんが、上手く作るもんですね。

「りんりんと 綸子(りんず)や繻子(しゅす)の振り袖を 娘に着せて
ビラリシャラリン」
「りんりんと 綸子や繻子は高いから 羽織の襟は 安いモスリン」
「りんりんと りんと振りたる小薙刀 一と振り振れば 敵はちりりん」
「りんりんと りんと咲いたる桃桜 嵐が吹けば 花がちりりん」
「りんりんと 林檎や桃の実がぶらりん さも欲しそうに立ってきょろりん」
「りんりんと りんと構えし別荘の 奥で床しく 琴がころりん」
「りんりんと りんと鳴いたる鈴虫の 軒端につるす 赤い風鈴」
「りんりんと リンと鳴ったる電話口 話が済んで もとへチリリン」
「りんりんと リングサイドで応援すれば 時間切れて ゴングチリリン」
「りんりんと 林檎食べ食べ蜜柑食い 西瓜バナナで 腹が下リン」
「りんりんと 淋病梅毒医者通い 射った注射は ありゃペニシリン」
「りんりんと リンを鳴らした競輪の 銭を取られて 家にけえりん」
「りんりんと りんを鳴らした夜鷹蕎麦 只で食わせろ あかんべろりん」

2008年05月01日

●山号寺号

落語には逃げ話と言われる噺があります。次の演者が来ない、あるいは時間が押してるなんて時に長くも短くも出来る噺で山号寺号もその一つです。噺そのものが駄洒落で、以下は粗筋です。

偶然若旦那と出くわした幇間の一八が若旦那どちらへ?と聞くと若旦那は観音様にお参りに。浅草寺ですね?と念を押すと浅草寺じゃない、観音様だと言張る。観音様というのは金龍山浅草寺に安置し奉る正観世音菩薩の事です。ご存知ないですか?どこの寺にも山号寺号というものがあるんです、例えば成田山新勝寺、三縁山増上寺、東叡山寛永寺というくらい、どこでもあるんもんですと一八。少々凹まされた若旦那はどこでもあるというなら、ここにもあるか?困った一八はここにはお寺が無いから、と答えると、どこにでもあるというから聞いたんだ、さあ男なら言ってみろ。俺もただとは言わない、山号寺号ひとつ見つけたら一円やろう。一円と聞いて張り切った一八、周りを見回して、

車屋さん広小路
お女将さん拭き掃除
乳母さん子が大事
経師屋さん腰障子
床屋さん耳掃除
魚屋さんむろ鰺
酒屋さん味噌下地
蕎麦屋さん卵とじ
時計屋さん今何時
肉屋さんソーセージ
洋服屋さん紺サージ
お医者さん疣痔
高島屋さん左団冶
若旦那さんやな感じ

こんな具合に山号寺号の駄洒落を若旦那とのやりとりを加えて膨らましたり、削ったりその場で自由自在というわけです。

2008年04月12日

●蒟蒻問答/六代目三遊亭圓生

芭蕉翁という方が、或る年越前の永平寺へお参りを致しました。その、若いお坊さんが五、六人固まって何か無駄っ話をしている。中で一人芭蕉を見知った者が、おいおいおい、ご覧、ご覧、あそこに来たあの男が今有名な、俳句ではえらいと言う芭蕉という男だ。どれ、あれかい、うーむ、あいつは馬鹿だなあ、馬鹿だ。何が?何がといって仏に対して礼もしない。芭蕉という奴は無礼千万の馬鹿野郎だ。

大きな声で話をしていたのが耳に入いりましたものか翁がこちらを静かに振り返って
「仏とは極楽道の案山子かな」
並み居る坊さんがびっくりいたしまして中で一人芭蕉のそばに進み出でて
「あなたはなぜ仏を案山子とはののしられるか?」

扇面をとりだして(勢いよく扇子を開く)
「開けば三覚これ三界、つぼめば一本これ一遍、涼風を忘れたもうないつまでも」 
煽がれた時には二の句が注げませんで、
「あなたはそれほど悟りを開いていながらなぜ正僧になられんのか?」

翁にっことわらって
「夷狄をはなれて禽獣に及ぶ。古池や蛙飛び込む水の音」
と言いながら飄然と去ったと言いますが、
なんのこってすか、私にはちっとも分かりませんで、こういう事をやってみろてんで教わっただけのことで、何かちんぷんかんぷんでございますが、、、(場内爆笑)

これは三遊亭圓生の小噺で蒟蒻問答のまくらの一部です。始めて聞いた時はヤラレタッと思い、笑いが止まりませんでした。読んだだけでは雰囲気が伝わらないかもしれませんが、圓生の難しそうな語り口に引き込まれ、つい騙されてしまったという訳です。まあ、こういう事をやらしたら圓生の右に出るものはないでしょう。また、こういう与太話を作る人も誰だかは分かりませんが、たいしたもんですね。尚、聞き書きですので、漢字は間違ってるかも知れません。

2008年04月01日

●小噺(志ん生:猫の皿)

鼠の娘がお嫁に行って直に帰ってきたんで鼠のお母さんが大変怒って
「おまえはあんな結構な処へ行ってなんで帰ってきたんだい?」
「でもお母さん、あそこの家嫌なんですよ」
「どうしていやなの」
「ご隠居さんがねえ」
「やかましいの?」
「ご隠居さんが優しすぎるのよ」
「優しすぎるなら良いじゃないか」
「でも猫なぜ声で」

升落としで鼠を取った時代がありまして
「捕れたかい?」
「捕れた、でっけぇやつふん捕まえたぞおい」
「本当か?大きい?へえー なんだなんだい、おおきかねえじゃねえか、しっぽの処みろい、この鼠はちいせぇぞ」
「うるせえなこんちくしょう、人が捕まえてものにケチをつけやがら」
大きいよ、大きくねえよちいせぇ、大きい、小せえ、大きい、小さいってえと
鼠が升の中で”中”

昔はこの、どこの橋にも橋番という者がいて、その橋から間違いが起こると橋番の責任でございまして
「こういうように毎晩身投げがあっては困るではないか?うん、その方はあそこに居て分からんのか」
「どうも相すいませんでございます」
って上役に叱られて、その晩こう見てるってえと一人ぱたぱたと飛び出していって欄干につかまって飛び込もうとする奴を後ろから捕まえて
「てめぇだろ、毎晩ここから身を投げやがんのは」
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猫の皿のマクラにはこれ以外にも色々と小噺があり、余り有名な噺ではないけれど、あっと思わせるオチで楽しめます。