2009年7月12日

●お婆さん三代記/古今亭今輔

落語の演目には大きく分けて、江戸時代から伝わる古典と現代になって作られた新作があります。一般的に落語の名人上手と言われる人は古典中心にやる人が多く、新作は何となく軽んじられて見られる傾向がありますが、古典と違い、現代の生活に即したネタが多く、予備知識なしでも楽しめます。五代目古今亭今輔は終始一貫新作で通した人で特にそのお婆さんネタが有名でした。兎角、落語家は歳をとって大看板ともなると、えー、とか、うー、とかいう間が良いとか、ワビサビがどうのという様な事を言われますが、今輔はそんな事は全く眼中にありません。このネタは未だ江戸の風が吹いていた明治の時代に婆さんが娘に小言を言うんですが、そのうち疲れて寝ちゃったりします。その小言を言われた娘がお婆さんになって、昭和の時代の娘にまた小言を言うというそれだけのネタですが、今輔は最初から最後まで全開フルスピードで飛ばしています。この音は昭和48年録音ですが、この時点で今輔は75歳。大したもんです。

2009年4月23日

●三平グラフィティ/林家三平

3月に林家いっ平が二代目林家三平を継いで襲名披露をあちこちで派手にやっています。林家三平というと先代のイメージが強烈なだけに我々見ている方はいっ平が三平に化ける事を期待してしまい、二代目三平を見るとどうしても物足りなく感じてしまいます。二代目にしてみればかなり辛いところだろうと思いますが、頑張って欲しいところです。先代三平はあれほどの人気者でありながら、その記録が意外に多くありません。この音は放送局に残っていたテープを繋ぎ合せたものです。三平真打昇進披露口上は今は亡き古今亭志ん生と橘屋圓蔵です。また後半には得意としていた壺坂霊験記のさわりが入っています。

2008年12月27日

●掛取萬歳/三遊亭圓生

江戸の昔は大晦日というと掛取りが江戸じゅうを朝まで駆け回ったそうで、そんな風景を読み込んだ落語が色々あります。この掛取万歳は主人公の八五郎が狂歌好きの家主、喧嘩好きの魚屋の金さん、義太夫好きの大阪屋の旦那、芝居好きの酒屋の番頭、萬歳好き三河屋の旦那にそれぞれの好きなもので追い返すという面白い趣向で、何度でも笑えます。ここではこの噺に出てくる狂歌をピックアップしてみましょう。まず

「春浮気夏は元気で秋ふさぎ冬は陰気で暮れはまごつき」
三遊亭圓生師によれば式亭三馬が
「春椿夏は榎で秋楸冬は梓で暮れは柊」
をもじった作だそうです。
「味噌漉しの底にたまりし大晦日超すに超されず超されずに超す」
"超すに超されず超されずに超す"が上手いです。どうしたって時限が来れば元旦になるんだと。
「大晦日内儀傷寒だとおどし」
"傷寒"は今で言うコレラです。
「大晦日首でも取ってくる気なり」
「大晦日首でよければやる気なり」
掛けを取る方も威勢がいいが、取られる方はもっと肝が据わってます。
「なにもかもありたけ質に置炬燵かかろう縞の布団だになし」
"置炬燵"、"縞の布団"がうまくかかってます。
「貧乏の棒も次第に長くなり振り回されぬ年の暮れかな」
貧"棒"も延びきって手におえません。
「貧乏をしても下谷の長者町上野の鐘のうなるのを聞く」
江戸っ子のやせ我慢でしょうか。
「貧乏をすれどこの家に風情あり質の流れに借金の山」
これが一番笑えました。山水だな、とは家主の弁。
「貸しはやる借りは取らるる世の中になにとて大家つれなかるらん」
家主の作です。八五郎の作に感心して、帰ってしまいました。

この話は誰の作かは分かりませんが、面白い狂歌が並んでいて楽しめます。家主の後も喧嘩、義太夫、芝居、萬歳とバラエティにとんで飽きさせません。しかし今では最後までやる人は居ないようです。

2008年11月16日

●黄金餅


--黄金餅のあらすじ--
下谷の山崎町の裏長屋に、薬を買うのも嫌だというケチの”西念”という乞食坊主が住んで居た。隣に住む金山寺味噌を売る”金兵衛”が、身体を壊して寝ている西念を見舞い、餡ころ餅が食べたいというので買って来てやったが、家に帰れと言う。隣の家に帰って壁の穴からから覗いて見ると、西念が餅からあんこだけを出し、そこに今まで喰うものも喰わずに貯めたニ分金や一分金を詰め込み、一つずつ全部、丸飲みしてしまう。しかし西念は急に苦しみだしそのまま死んでしまった。金兵衛は飲込んだ金を取り出そうとあれこれ考え焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまおうと決意する。西念を菜漬けの樽に納め、

下谷の山崎町を出て、麻布絶口(現座の地名では絶江)釜無村の木蓮寺へ担ぎ込んだ。

貧乏木蓮寺で葬儀を値切り、焼き場の切手と、中途半端なお経を上げさせた。形ばかりの葬式が終わると仲間には新橋に夜通しやっている所があるから、そこで飲って自分で金を払って帰ってくれと追い返した。桐ヶ谷の焼き場へは一人で担いで行き、腹は生焼けにして朝一番で焼いてくれと頼み、自分は新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷に戻った。遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまう。その金で、目黒に餅屋を開いて大層繁盛したという。これが江戸名物「黄金餅」の由来でございます。
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実際の口演では金兵衛とその相棒が下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺まで菜漬けの樽を担いで行くその道筋を全部喋るところがこの落語の売り物です。右上のイラストはその道筋です。(「笑う超人 立川談志 x 大田光」より引用)。

下谷山崎町から木蓮寺迄12~3km。木蓮寺から桐ヶ谷の焼き場(現在、桐ヶ谷斎場として営業中)まで約4km。西念の死体を抱えてこれだけ移動するんですから、確かに疲れる筈です。この噺は実話ではありませんが、こういう噺が出来るのは当時の人はこれくらいの距離は普通に歩いていたんでしょう。

道筋を語る部分で例えば"古今亭志ん生"(昭和34年3月2日)はこんな風にやっています。焼き場で金を取り出すという陰惨な話が志ん生の人柄で笑える落語になっています。これが昔からのもっともオーソドックスな形ですがこの道筋を"立川談志"(昭和47年3月19日)が昭和の風景に置き換えてやっています。こういう事をやってくれるのは談志だけでしょう。物凄い芸だと思います。では、平成の風景に置き換えたらどうか?これは浅草キッドの水道橋博士がやってくれたそうですが、残念ながら音がありません。是非聞いてみたいものです。

尚、この道順を2001年に実際に辿った人があり、そのホームページ"落語の舞台を歩く"にきちんとまとめられています。

2008年8月26日

●松山鏡/桂文楽

松山鏡は松山村という鏡の無い村で起きた椿事がネタになっていますが、桂文楽はその噺に入る前に鏡の無い国の小噺を枕として入れています。

ある鏡の無い国の連中が団体を作りまして江戸見物。浅草の観音様へお参りをしよう。蔵前通りにかかって参りまして大きな鏡屋さんがあったそうで、ちょっくら待てよ、おかしげな商売があるぞ、みろよ、かかみせ、かかみみせ、かかみせや、かか見せるのかな。
おせいどんよ、なんだねあれあれ、あれま、これはたまげたぞ、われ見せとるぞ、えれい商売があるもんだ、てんで大変に感心を致しまして村に帰りまして、これがえらい評判でございます。

権佐衛門さん、なんだな、来年江戸見物に俺も一緒につれていってくんろ、うん、あのかか見せるところ頼むぞ。うん。来年になりますとまたぞろぞろぞろぞろと江戸見物、蔵前通りにかかってまいりました。

丁度鏡屋さんが引越してしまって、後に琴や三味線のお師匠さんの家と変りまして、どこだい、そのかか見せるていうところは何のおらがなあ、この辺と、引っ越した後をみると、これはいがねぇ、これは駄目だ、こりゃ。来年でなきゃ見られんぞ。そうか、ここに書いてある「ことしゃみせん」としてある。来年でなきゃや見られんぞ、そうかな、おらのかかあ、あんべえ悪いだが来年までもつかな?心配ぶたねぇもんだ。そばに「しなんじょ」としてある。

鏡屋の看板「かかみみせ」を「かかみせや」と読んで、かかあを見せて売る所だと、妄想を逞しくした田舎者の勘違いが「ことしゃみせん」に繋がって、なかなか良く出来た小噺です。

2008年6月23日

●時そば

「時そば」と言えば「寿限無」と並んで数ある落語のネタの中で知らない人は居ないという程有名です。

「うまかったよ、幾らだい?」
「へい十六文で」
「銭が小さいから手をだしな、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、今何時だい」
「へい、九つで」
「とう、十一、十二、、、、、十六」
これを見ていた与太郎は時を聞いて一文誤魔化したのに気づき、俺もやってみようと翌晩そばを食いに出て来ます。美味くも無いそばを食った後、昨日の客の真似して
「銭が小さいから手をだしな、ひい、ふう、みい、よう、いつ、むう、なな、やあ、今何時だい」
「へい、四つで」
「いつ、むう、なな、やあ、、、、、、」
というのがどなたもご存知のオチです。

処で、件の蕎麦屋は昨夜の客には「九つ」と答えたのに与太郎にはなぜ「四つ」と言ったんでしょうか?勿論蕎麦屋は謹厳実直で、与太郎を誤魔化そうなんて気持ちはさらにありません。

江戸時代の暦は今と違って太陽太陰暦で、時刻の数え方も日の出から日の入り迄の時間を基準にした不定時法でした。このため夏と冬では一時(約2時間)の長さも違ってきます。ここでは簡単の為に日の出が朝6時、日の入りが18時と仮定して現代の時間に合わせてみると

0時暁九つ
2時暁八つ
4時暁七つ
6時明け六つ
8時朝五つ
10時朝四つ
12時昼九つ
14時昼八つ
16時昼七つ
18時暮れ六つ
20時夜五つ
22時夜四つ
24時暁九つ
当時は時刻の呼び方が複雑で真夜中と正午が九つ、そこから一つずつ減って行きます。前夜の客は九つ頃そばを食っていたので、蕎麦屋は九つと答えたわけです。処が翌日の与太郎はちょっと早めに食ってしまったので、時を聞いたら蕎麦屋が四つと答えたというオチです。江戸時代や明治の頃の落語ファンなら当然と思って笑ったのでしょうが、私にはその謎が良く分からなかったという訳です。

時刻は数字以外にも十二支で呼ぶ呼び方もあり「草木も眠る丑三つ時」と言えば丑ですから午前2時となり、その後の一刻を四つに分けた三つ目を指しています。ですから今風に言えば午前三時半になります。

ちょっと脱線しますが、回教国は今でも完全太陰暦を使っています。毎月大の月と小の月が交互に来ます。このため一年は30日x6+29日x6=354日。つまり一年が354日ですから、太陽暦よりも11日短くなります。このため33年たつと1歳、66年たつと2歳我々より余計に年を取ることになります。完全太陰暦の場合33年で一回りする訳ですから、或る年は8月が真冬になったり、2月が真夏になったりして具合が悪いんぢゃないか?などと余計な心配してしまいますが大丈夫。完全太陰暦を採用してる国は1年中夏なんです。

2008年5月16日

●りん廻し

落語にはよく川柳や狂歌が出てきますが、りん廻しは最初と最後に必ず「りん」を付けるという遊びです。落語としてはそのものずばりの「りん廻し」或いは「雑俳」というネタで「りん」が付いた狂歌が沢山出てきます。誰が作ったか分かりませんが、上手く作るもんですね。

「りんりんと 綸子(りんず)や繻子(しゅす)の振り袖を 娘に着せて
ビラリシャラリン」
「りんりんと 綸子や繻子は高いから 羽織の襟は 安いモスリン」
「りんりんと りんと振りたる小薙刀 一と振り振れば 敵はちりりん」
「りんりんと りんと咲いたる桃桜 嵐が吹けば 花がちりりん」
「りんりんと 林檎や桃の実がぶらりん さも欲しそうに立ってきょろりん」
「りんりんと りんと構えし別荘の 奥で床しく 琴がころりん」
「りんりんと りんと鳴いたる鈴虫の 軒端につるす 赤い風鈴」
「りんりんと リンと鳴ったる電話口 話が済んで もとへチリリン」
「りんりんと リングサイドで応援すれば 時間切れて ゴングチリリン」
「りんりんと 林檎食べ食べ蜜柑食い 西瓜バナナで 腹が下リン」
「りんりんと 淋病梅毒医者通い 射った注射は ありゃペニシリン」
「りんりんと リンを鳴らした競輪の 銭を取られて 家にけえりん」
「りんりんと りんを鳴らした夜鷹蕎麦 只で食わせろ あかんべろりん」